「ふと」は、
理由もなく思いつくことではなく、
まだ言葉になっていなかった何かが、
少しだけ顔を出す瞬間なのかもしれない。
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「ふと」は、
理由もなく思いつくことではなく、
まだ言葉になっていなかった何かが、
少しだけ顔を出す瞬間なのかもしれない。
「まだ間に合う」
遅れたことと、
終わったことは同じではない。
「ついでに」は、
余計なことを増やす言葉ではなく、
予定になかったものにも、
少し触れてみるための言葉なのかもしれない。
「ポジティブに」は便利だ。
でも、
その言葉が強くなるほど、
「自分には関係ない」
すべてを、
自分の問題にしなくてもいい。
「そういえば」は、
話を逸らすための言葉ではなく、
一度通り過ぎたものと、
もう一度つながるための言葉なのかもしれない。
「それもあり」
自分とは違う答えを、
すぐに間違いにしなくてもいい。
「それから」は、
出来事の続きを話すためだけの言葉ではなく、
まだ先があることを残しておく言葉なのかもしれない。
人は時々、
「わかる」
同じ経験をしていなくても、
少しだけ相手の場所から
「寄り道」は、
道を外れることではなく、
目的地だけを見ていたら出会えなかった世界に、
触れるための道なのかもしれない。
「無理しなくていい」
止まることだけではなく、
別のやり方や、
「ゆっくり」は、
遅れるための言葉ではなく、
自分と世界の速度を、
もう一度合わせ直すための言葉なのかもしれない。
「気にしない」
全部を抱え続けなくてもいい。
少し手放すことで、
「よかった」は、
結果への感想ではなく、
誰かの世界が、
少しだけ広がった瞬間に立ち会う言葉なのかもしれない。
「大丈夫」
その一言で、
不安が消えるわけではない。
「なるほど」は、
相手に同意する言葉ではなく、
自分とは違う景色があることを受け取る言葉なのかもしれない。
人は時々、
「当たり前」
そう感じられるものほど、
誰かが積み重ねてきた
「きっと」は、
根拠のない楽観ではなく、
まだ証明されていない可能性を、
手放さないための言葉なのかもしれない。
「もしかしたら」
その一言で、
決まりかけていた答えに、
「もし」は、
現実から離れるための言葉ではなく、
まだ存在しない可能性に、
一度だけ触れてみるための言葉なのかもしれない。
「大丈夫」は、
不安を消す言葉ではなく、
不安があっても、
一人ではないと伝える言葉なのかもしれない。
「そういうものだ」
決めつけるためではなく、
何度も起きている形に
「どうぞ」は、
遠慮の言葉ではなく、
世界を一人分だけ広くする言葉なのかもしれない。
人は時々、
「ありがとう」は、
礼儀の言葉ではなく、
誰かの存在が、
自分の世界を少し広げてくれたことに
気づいたときの言葉なのかもしれない。
「今は保留」
答えを先延ばしにする言葉ではなく、
急いで決めないための
「おかえり」は、
家へ戻るための言葉ではなく、
あなたとの接続は、
まだここに残っていると伝える言葉なのかもしれない。
「お先に」は、
距離をつくる言葉ではなく、
それぞれの時間を尊重するための言葉なのかもしれない。
人は時々、
「気のせい」は、
間違いの言葉ではなく、
まだ説明できない変化を、
人が静かに受信している状態なのかもしれない。
「たまたま」は、
意味のない偶然ではなく、
まだ説明し切れていない接続が、
一瞬だけ表面化した状態なのかもしれない。
「まあいいか」は、
諦めの言葉ではなく、
“全部を回収しなくてもいい”
という余白を、
世界に残すための言葉なのかもしれない。
「ちょっと」は、
弱い言葉ではなく、
接触圧を、
人が耐えられる密度へ調整するための言葉なのかもしれない。
「少し」は、
中途半端な言葉ではなく、
変化や接触を、
壊れない速度へ落とすための言葉なのかもしれない。
「一旦」は、
逃げるための言葉ではなく、
世界との接続を、
切らずに保つための言葉なのかもしれない。
「別に」は、
冷たさの言葉ではなく、
感情や意味を、
無理に固定しないための言葉なのかもしれない。
「なんか」は、
説明不足の言葉ではなく、
まだ切り分け切れていない世界に、
触れた痕なのかもしれない。
「いつか」は、
遠い未来の言葉ではなく、
今はまだ届かないものとの接続を、
切らないための言葉なのかもしれない。
「とりあえず」は、
適当な言葉ではなく、
“まだ全体は見えていない”ことを認めたまま、
小さく動き続けるための言葉なのかもしれない。
「まあ」は、
諦めの言葉ではなく、
世界を少しだけ滑らかに接続し直すための言葉なのかもしれない。
人は時々、
正しさを押し切らないことでしか、
「なんとなく」は、
曖昧な感覚ではなく、
まだ言葉になっていない変化と接触している状態なのかもしれない。
人は時々、
「一応」は、
責任を避ける言葉というより、
世界を一つの意味に閉じ切らないための言葉なのかもしれない。
人は時々、
「そのうち」は、
怠慢の言葉ではなく、
時間の位相差を認めるための言葉なのかもしれない。
人は、
「たぶん」は、
自信のない言葉ではなく、
世界を単純化しすぎないための言葉なのかもしれない。
断定を少し遅らせることで、
「わからない」は、
思考停止ではなく、
世界との接触を続けている状態なのかもしれない。
早く答えを出すより、
価格競争は、
単に「安いもの」が勝つ現象ではない。
どの摩耗を、
どの層へ沈められるかの競争でもある。